才能、センスという言葉は『生まれつき持っている』もので
『後天的にはどうにもできない』と思っている方も多いのではないでしょうか

「栴檀は双葉より芳し」ということわざもある通り
天才は早熟で早くから人と異なる才能を発揮すると思いがちです。

世の天才が全てそうかといえば
「大器は晩成す」の言葉もあるように
幼いころは劣等生で、後に天性を発揮する人物は多くみられます。


天才と呼ばれる人物を何千人も長期間にわたって調査し
天才というのは全ての人になるチャンスがあるといえるという結論に辿り着いた学者もいます。

なにも持たずに生まれてくる人はいません。
それを時々に応じ、必要な部分を生かすことができるのは、センスの問題です。

脳科学的にみてみると
人間の脳は快か不快かで物事を判断し、
生物として本能的に生き残る術を選択しています。

脳は外部の出来事を感じ取るセンサー(感覚器)の集合体です。

言語のみならず非言語的な感覚(五感や第六感といったもの)により収集された膨大な情報を感覚器から受容し、脳へ伝え判断します。
脳は過去の経験の蓄積から行動を選択し、神経から末端へ情報を送り返すことで筋肉を動かし、リアクションが生みだされます。

真っ白な脳みそには、オペレーションシステムが存在しないので
的確な行動や判断はできません。

たまたまやったことが
都合がよい結果がでれば
脳は「快」を感じ

同じようなことがあったときに
その時と同じような反応をし
定着することで行動パターンとなってゆきます。

やったことが「不快」に感じると
脳は次回別のパターンを探します。

そういった繰り返しのなかから、快・不快を選びながら
微調整して行動パターンが組み立てられてゆきます。
行動パターンは、外界から得られる感覚により組み立てられてゆきます。

行動パターンは最初のうちは意識して作られる場合がありますが
慣れてくると自然と無意識に反応する「自動化」がなされてゆきます。

自動化された中で、どう外部の刺激を取り入れているのか
意識の向け方も人によりバラエティが生まれます。

つまり、センスは生まれた後に作られるものなのです。

感覚をどのように取り入れ、どのように行動を修正するか。
その感覚、センスを養うことが、
天才と凡人の分かれ目といえるかもしれません。


持って生まれたものは変えられませんが、
どのように育つかによって
人はだれでもその天性を発揮するチャンスを持っているということなのです。



では、才能を伸ばすためには
幼いころからの「早期教育」が有効なのでしょうか?

これは一概にはいえません。

発育発達途中にある子どもたちは
大人の体と全く違うからです。

風に乗って飛んできた種が
光や水のない、カラカラな岩の裂け目に落ちてしまうと
栄養や光、水が不足して芽を出すことすらできないでしょう。

だからといって芽吹いたばかりの植物に水をやりすぎれば、
幼苗は根腐れをしてしまうかもしれません。

肥料をたくさん与えても、大きく育つどころか
濃すぎる肥料によって根をいため枯れてしまうこともあります。

必要なときに必要なだけで十分です。

「適当」はいいかげんな言葉ではありません。

いるものを
いるだけ与える


私自身は学童期前の子供に対しては
パターン化した早期教育パッケージより
個体それぞれの発育発達時期に合わせた経験や
多様な行動パターンの習得をすすめます。

どういうことかというと
簡単にいえば「遊び」です。

面白いがることをいろいろ経験すること、
これが後々大きな大きな土台となると考えています。


学童期以降の子ども
成長途中のジュニアに対するフィジカル・トレーニングを指導する場合、指導者が十分子どもの体を知った上で行うべきだと考えています。
筋トレにしてもストレッチにしても、やみくもな指導はお薦めできません。

例えばストレッチ。
柔軟性は高ければ高いほどよいわけではありません。
オーバーストレッチの害で泣く人は大勢います。
ただ、あまり表だっていないだけです。

高難度の技を、小さいうちにできることはすごいことかもしれません。
しかし大人が行うような高難度の技を子どもの体で行うことは負荷が大きすぎるため、多かれ少なかれ代償が生じます。
代償により、将来的に一生引きずるスポーツ障害を引き起こすなど
弊害について知らずにチャレンジする人も多いと思います。

体を壊して競技を離れる人は、
成功して名を上げる人より
よほどたくさんいるのではないでしょうか。

そして競技をしていた過去の自分に対して、
「誇らしさ」よりも「寂しさ」「辛さ」を思いだす方も多いのではないでしょうか。

「自分が下手だったから」「やり方がまずかったから」「もっとタフな体だったら」とご自身を責めている多くの人を私は知っています。

高みを目指すことはよいことです。
しかし
やみくもにやりすぎることはとても怖いことです。

体の成長に応じ、必要なモノは異なります。
質や量、タイミングなど、課題を与える側にもセンスが必要といえます。

体を壊せば本人は後天的に負った障害を一生引きずることになるため
指導者、親、周りの大人が
発育発達過程の子どもについて知ることは
子どもの才能を伸ばすためにとても重要な環境要因の一つといえるのではないでしょうか。


風に運ばれた種は、
環境を選ぶことができません。

無力な赤ちゃんは
生まれ出る環境を選べません。

才能を育てるゆりかごは
周りが与えるものです。


適当な環境に恵まれれば、種は芽吹きます。

環境が適当であれば
みずみずしい若木は、やがて光にむかって
次第に枝を広げてゆくことでしょう。


センス、才能という言葉は
たゆまぬ日々の積み重ねに裏打ちされます。

しなやかな動き、呼吸。音感、リズム感。
抒情性や人との距離感まで
バレエを通し、さまざまな感性を養います。